好きだと思っていた感情の正体

ある人のことを好きだと思っていた。

可愛くて優しくて、天使みたいな人だ。守ってあげたくなるような抜けたところもあるが、筋の通った人だ。

 

私はその人を独占して、周りの奴らにマウントを取っていたかった。

自分がそんな素晴らしい人の唯一無二の存在であるという欺瞞が欲しかった。

普段の言動で、例えば好きなものを覚えておくとか、誕生日には手間と時間をかけたプレゼントをするとか、もっと日常的な様々な気遣いを放棄して、来るはずもない危機の時には自分の身を呈する覚悟がある、などと宣った。

 

誰に対する好意でも同じだ。

恋人でも親でも。

普段からできる小さな気遣いへの努力は怠って、それでも世界一好きだからとか、いざという時にはとか、極端な選択で相手を選ぶ覚悟を見せつけていれば赦されると思っている節がある。

最低最悪のクズ野郎で、愛なんて語る資格すらない。

結局のところ人生の最後を捧げる覚悟なんか、生活を少しずつ割いてあげることよりもずっとずっと軽い。

そのことに気づくのに随分な時間がかかったし、気づいてからも改められる気がしない。

そのくせ自分が少しでも蔑ろにされると拗ねて怒り出す。

心底自分が嫌になる。

 

頑張り方がわからない。

日々を生きてごく限られた人に愛情を向けるのに精一杯だ。

それが私の器だからそれ以上は望むなということなんだろう。

 

理想と現実が遠すぎるな。四半世紀も生きているのに。

父が死ぬ想像をしてしまい眠れない。

海外への引っ越しを2週間後に控え、落ち着かないせいだろうか。

最近体調不良で歩くことも出来なくなってきたという父を置いて海外に行くことへの罪悪感にも似た不安がまとわりついて離れない。

海外にいる間の連絡は取れるのだろうか。

同居しておらず、今両親の面倒で忙しいという父の彼女は、父と毎日連絡を取ってくれるのだろうか。

万一のことがあった時、いち早く私に連絡をしてくれるのだろうか。

7年前家を騙し取られ、古く汚い市営住宅で一人暮らす父。

そんなところで孤独に生を終えるなどということになったら私は一生悔やむかもしれない。

やはりまともな職について父にまともな住環境を工面すべきだったとか、自分の夢なんか後回しにして父を安心させてやりたかったとか、孫との幸せな余生を過ごさせたかったとか。

自分にはどうにもできないようなことまで悔やむかもしれない。

結局は自分の心配なのかもしれない、けど、父には幸せでいてほしい。

せめて再婚でもしてくれれば。

側に誰かいるのならこんなに不安に思うこともなかっただろうに。

 

ソシャゲにおはようと言われた

3ヶ月ぶりに筆をとる。

眠れないのは1人の夜だけだったようだ。

同居人と一緒に寝るようになってから日記を書くのをやめてしまった。日記を書いている途中で話しかけられでもしたらなにも書けなくなってしまうだろうから当然だ。当然か?

 

数年の付き合いがあるネットの友人が数年前に書いた文章を読んで感心するなどしていた。

彼ほどの言語能力をもってしても言葉にコンプレックスがあると言わしめてしまう現実とは一体どんなものだろうね。

大人になるにつれ自分のいろいろな欠損をコンプレックスに思うことも忘れて呑気に生きてきてしまった私は彼のように真面目に欠損を嘆く人に出会ってしまうと自分が恥ずかしくてたまらなくなる。その欠損が私には見えないのでなおさら。

 

同じ夢を持つ人と付き合ったら、私の方が実力があるだとか、才能があるだとか、そんな不確かな根拠で妬まれる。

そうでない人と付き合ったら、夢を持っている私が羨ましいと僻まれる。

どーすりゃええっちゅーねん。

私ごときの生き方をカッコいいとか思わない人と付き合いたい。まさしくただのクズなので。

でもただのクズだと思う人はそもそも私を許せないだろうし、やっぱり、私よりクズな生き方をして私より輝いている人と一緒にいたい。

そんな人は私のことなんか見ない。

それでいいんだけど、それじゃ人間関係成立しないよな。

 

人と人が生きていくって難しいな。

正義ってお前さあ

職場のバイト連中の間で某マルチが流行った。というより、勧誘マンがバイトとして入ってきて、数人が釣れた。その数人に私が入っていた。最初に言っておくと、私はマルチには加入していない。勧誘マンの人柄に好感を持っていたし、彼の持っている技術を頂こうと思いセミナーに参加した上で、マルチは無理や、とハッキリ断った。

でも他の数人は乗り気だったようなので、まあ頑張れという気持ちでいた。話を聞く限り法に反しているようなことはないし、失うものといえば友人くらいのようだ。

稼げる人は稼げるだろうし、稼げない人は稼げないだろう。どこの業界でも同じ、向き不向きというものがある。

 

で。今日職場に行ったら、幹部社員に呼び出された。

テーブルを挟んだ向かい側に社員2人。

「マルチ、やってるの?」

ストレートかよ。

「やってません」

「○○(勧誘マン)と楽しく話してて熱心にノート取ってたりセミナーに参加してたって聞いたけど」

「勧誘マンとは楽しく話しましたしセミナーにも行きましたが、マルチには加入してません。するつもりもありませんし、彼にもきっぱりと入らないという意思を伝えてあります」

「信じていいんだよね?」

「はい」

一応は信じてもらえたのか、社員が話し出した。

勧誘マンが他のバイトの子にも勧誘をしていること。系列店で過去にも同じような事例があり、バイトが全滅したこと。私がもしマルチに加入していたら、クビを切るつもりだったこと。勧誘マンはもう見限っている、ということ。

ふーん、と大人しく聞いていたが、社員の言葉に引っかかった。

「結局ああいうの信じるのは頭悪い奴なんだよね。俺は正義の味方でいたいからさ、こういう間違ったことがまかり通ってたら見過ごせない」

……そうですね、正義の味方は悪役の話を聞きませんもんね。

そりゃ信じるもクソもないし、相手方を悪役に仕立て上げて頭が悪いと一蹴してしまえたら楽でしょうよ。

 

頭が良い悪いで他人を二分する人間はクソダサい。

いや、二分すること自体は別に良い。私だって明らかに話が通じない相手を見下さずに居られるかと言ったら難しい。ただそれを公言して、自分はわかってます、自分は頭いい側の人間です、と主張するのは死ぬほどダサいと思う。

他人に言ってもらえないから自分で言うしかないんでしょう?

今までバイトとしてでもかなり職場に貢献してきてくれた人を、クズ野郎と決めつけ(本当にクズ野郎と言った)、自分は正義の盾に守られてるつもりなんだろうか。

思考停止も甚だしい。

別に勧誘マンを庇うつもりではない。彼ならどこにいっても割と上手くやるだろうし、今現在金に困ってるわけではないらしいし。

ただ私は彼の話をちゃんと聞いた。聞いた上で、自分の状況や資質や知識と照らし合わせ、自分で考え得る最も合理的な判断としてその誘いを断った。自分の頭で判断を下した。

 

だからスッキリしない。

不穏分子を排除して、それが会社のためなのか。世間の評判は判断材料にはなっても、それを盲信して常識ブレードでぶった切っていくのは果たして正しいのか?

思考停止して、他人を否定して、それを正義だと宣うのか。

そりゃ戦争もなくなんねーわ。

 

この世に正義なんか存在しない。

自分が正しいという思い込みはあまりにも傲慢だ。

他人を変えることはできない。

共存するために話し合い、歩み寄り、お互いが変わっていく。それを成長と呼ぶんじゃないのか。

正義を信じることは成長を拒むこととほとんど同じ意味なんじゃないか。

 

そんなことを中学生ぶりに考えた一件だった。

人を大事にできない

自分の時間が何より大事だ。

自分と向き合うことで生まれるものを仕事にしているし、その間は誰にも邪魔されたくない。

切羽詰まった顔で話しかけられたら、一応作業を中断してそちらに意識を向けるようにはしているが、そうでない時には生返事だ。

いくら温厚な相手でも、それを続けられたらいい気分はしないだろう、ということくらいはわかっている。

でもダメだ。私は自分の時間を譲れない。扱っているものが頭の中で生成されている以上、思考の中断は損失につながり得る。

そもそも不干渉が一番の尊重だと思っている人間なのだ。

それを理解して距離を取ってくれる人ならばいいが、現実はそう甘くないようだ。

 

そんな仕事モードとは別に、デレデレふにゃふにゃのプライベートモードの自分も存在する。

恋人などには普段デレデレふにゃふにゃと接しているので、仕事モードに切り替わると「怒ってるの?」ということになりがちだ。

 

どうやってバランスを取っていけばいいのかわからない。

 

こういう話をまとまった量の文章として書く時、どんどん暗い方向に結論が行ってしまうことが多々ある。

話に一貫性を持たせるためだろうか。

ただ暗い方向に自分の気持ちを持って行って、鬱に浸る自分に酔っているのだろうか。

醜いなあ。

こんな場所でまでひどい自意識だ。

電話が苦手

また電話に出られなかった。折り返しを求める留守電が入っていたが、かけそびれて数日が経った。

電話が苦手だし、スケジュール調整が苦手だし、断るのも請けるのも得意じゃない。

そもそも社会で生きるのが得意じゃない。

風通しの良い家に住み、猫の写真でも撮って暮らしたい。

 

 

私は他人の言動を分析し、理解した気になるのが好きだけど、それは因果を突き止めて自分の常識に落とし込める形にして安心したいだけなんだということをやっと言語化できた。

本来他人の(自分もか)感情の機微や表出する言動は理解できるものばかりではないし、それが普通だとは思うのだが、未知のものに恐怖を覚えるように、訳のわからないままでは対応ができず、不安に陥る。

対人コミュニケーション不得手マンとしては、分析→理解のプロセスを踏まないと対応もままならないことがある。というか、感情の応酬をするとトラブルになるし。

私が温厚(?)なのは考える時間がないからだ。何か腹立つことを言われても、その場では分析のプロセスに思考を割いているので、怒っている暇がない。あとから思い出して腹が立つことはめちゃくちゃある。

そしてその場で腹を立てられたとしても、言い負かすだけの論拠を探せず、口喧嘩敗北、ということになる。

頭の回転が遅いんだよな。

 

洗濯機の口から山盛り溢れ出てる洗濯物を2回に分けて回しながらそんなことを考えた。

そして、この分析自体、「自分の常識に落とし込んで安心する」ためのものに含まれるので、ちょっと面白かった。おわり。

話の面白さってなに

人の話に興味がなくどんな話でも自分語りに持って行ってしまう人の話を昨日したけどまさにそんな人と今一緒にいて、私は慣れているからいいのだが、彼女が別の友人と話しているのを聞いている。しんどい。

 

話し甲斐のない人ともいえる。

こちらが望む通りの反応をしろとは言わないが、ある程度常識の範囲内で繋げてくれないと、会話が全く噛み合わない。

今年22歳だったかな。もうちょっと頑張れ。