日記

またブログを開いた。

人生で何個目かはもうわからないけど、1桁ではないはずだ。

好きな人が、というか好きな思想を持っていて好きな文章を書く人が、日記はいいぞ(要約)と言っていたので、日記を書こうと思う。


Twitterのせいで出力癖がついてしまった。それも、読者のことを考えず、日本語としての体裁も整えず、脳直無添加無農薬のクソみたいな文を排泄する癖だ。

今も別に読者のことなんて考えてないけど、精々自分のプライドに怒られない程度には文章を整えて行こうと思う。

あくまで内容に関してはクソのままだろうけど。


先述の好きな人が、出力しないと自家中毒を起こす、と言っていた。

自分の体内で生成されたものが飽和したり抗体に反応されて自分の体を傷つける、というような意味だと思っていたら違った。ストレスからくる自律神経の乱れのことらしい。

私が創作をしなかったら自家中毒を起こすだろうか。

そもそも創作自体、承認欲求のために始めたことだから、自分の体内をスッキリさせるためという意味では正しい排泄にはなっていないような気がする。


いつも誰かの顔色をうかがっている。

だから私の体内では今も、排泄されない感情たちが渦巻いている。

たぶんそれらを浄化するためにあるいは可視化するために漫画を描いていたら、私の精神状態はもっと悪くなっていくんじゃないだろうか。


私の出来の悪いおつむは、悪感情も好感情もそう長く覚えていられない。

嫌な気分が相当グルグルに渦巻いているときだって、気に入った服を着て河原に座って鴨を眺めたり、誰にも邪魔されない環境で本を読んだりすれば大抵は忘れてしまう。

鬱になるのは、それをする時間も余裕もないときだ。


悪感情を漫画に描こうと思ったら、リフレッシュは厳禁だと思い込み、常にストレスと真正面から向き合い、いかにリアリティを持ってそれを描写するかに全思考を投入せざるをえない。

その状態が長く続いたらたぶん人は死ぬ。

少なくともねこぢるうどんの作者は死んだ。


悪感情フルスロットルの漫画を完成させたことがないからわからない。

鬱にまみれた作品を完成させたとき、そこに込められた苦しみは、達成感とともに浄化されるものなのだろうか。

愚痴を書いたトイレットペーパーを便器に流すような気持ちになるのだろうか。(それが果たしてスッキリすることなのかどうかも知らんけど)


わからない。

わからないけど、誰にも言えない愚痴を長々と書いた記事を投稿した直後は、それを読んでくれる未来の自分が面白がってくれることを知っているので、少し気が楽になっているような気もする。